代表ブログ

わせだマンのよりみち日記

2021.06.02

人の想いを知り、地域の想いを継ぐということ

#私的考察

同業者の中にひとり、心の底から尊敬する大先輩がいます。彼はIT系の上場企業の管理職だったのですが、地方のデジタルアーカイブ構築プロジェクトではご自身が当地に居を構え、地元の雇用創出の仕組みまで確立させた上で成功へと導かれました。「全身全霊を傾ける」とはまさにこのこと、もし自分ならどこまでできただろうか、半分もできなかったのでは…と、進捗などをうかがうたびに衝撃を受けたものです。

何よりすごいのは、名実ともに地域へと身を投じ、「地元民」としての思考のもとに行動されていたことです。もちろんプロジェクトに貢献するのは会社公認の活動なのですが、それはもう自治会長のごとき馬力と凄み。山間部の限界集落を回る移動販売車事業を立ち上げたという話を伺った時には、「退社なさったのか」と勘違いしたほどです。また、「手入れが途絶えた廃神社を復権させよう」と動いておられたという話もお聞きしました。ご自身で寄付集めに奔走された結果、その神社には、実際に小さな本殿が建ちました。ここまで本気で汗をかいて、文字通り泥だらけになっている人を、私は見たことがありません。

ぜひ教えを乞おうと一時は頻繁に訪ねていたのですが、定年退職後はなかなかお目にかかれなくなってしまいました。お会いしたのは数年前、たまたま彼の地元に出張した際に居酒屋で呑んだのが最後です。

「そろそろ日焼けの季節の準備をしないとなあ」と出張先を歩いていた先日、ふと、例によって全身こんがりと日焼けして店に現れた彼の姿を思い出しました。「いやあ、文化財の周囲の草刈りでね」と笑っていたのですが、あの日、何を掃除していたのだろうと。周辺の草むしりが必要な文化財と言うと、石碑か何かかな…。記憶を辿るうちに、何年か前、たまたまネットで見かけた記事が脳裏に浮かびました。江戸初期に名張藤堂家所領で伊勢代官を務めていたという福井文右衛門という人物の逸話です。

「草木一本動かしてはならない」とされていた伊勢神宮の御神域内で灌漑用の水路整備の必要が差し迫った時、文右衛門は村人に「許可を得てきたので掘れ」と命じます。これで作物を育てられると大喜びの村人たちは夜を徹して水路を完成させますが、その裏で、神域侵犯の罪を背負った文右衛門は代官所でひとり自害します。近くには「孫子の代まで末長く豊作とならんことを」と書かれた遺書が置かれていました。代々語り継がれてきたこのエピソードは、昭和に入って「福井氏流水記功碑」という石碑に刻まれ、移築を経て現在も松坂市内の神服織機殿神社で読むことができるそうです。

考えてみれば、「石碑に刻む」という行為は、想いの強さ、重さをそのまま表していますよね。石碑は各地に無数にありますが、その悉くが地域の歴史だと思うと、それを知らずにただ通り過ぎるのが申し訳なくなります。

日々、日本中のミュージアムを飛び回る身である限りは、件の先輩のようにひとつの地域に腰を落ち着けることができません。そんな私に何ができるかと言えば、博物館の学芸員・職員の皆様が知識の継承のためにお使いになる道具を、さらに洗練させた形で提供すること。人々が石碑の近くを通りかかる時、そこに何が彫られているのか、調べればすぐに分かる環境の整備をお手伝いすること。全国各地へ電車を乗り継ぎ、現地で借りたレンタカーで移動する日常では、あそこまで日焼けすることはまずありませんが、尊敬する大先輩に少しでも近づけるよう、私なりに頑張りたいと思っています。

地元の寄付により復活を果たした神社。心静かに、しばし、想いを馳せて。