2021.07.21
15年という時間の重み
#私的考察20代半ば、結婚して間もない頃のこと。転勤でやってきた東京での新生活、当初は苦戦の連続でした。銀行員としての経験が浅く、お世辞にも要領がよいとは言えない私は、ひたすら自転車で住宅街を駆け回る毎日。妙案もなく、好転の兆しも見えない日々に疲れ果てていた時、とある飲食店を経営するご夫婦が「都心への出店を考えている」とのことで融資の相談に来られました。
企業の規模から考えると金額が大きく、難しい案件になることはすぐ予想が付きました。また、贔屓目でも少し冒険が過ぎるのではないかと思い、一時は頭を抱えたものです。ただ、味やサービスは以前から感心していましたし、何よりもおふたりの熱い気持ちに触れて、どうしても応援したいという気持ちが盛り上がりました。飲食業界の動向や収益構造を夜な夜な勉強し、業績予測のシミュレーションを繰り返した結果、15年という長期にわたる融資の稟議を通すことができました。華やかな開店披露パーティに、晴れやかなお顔のご夫妻。銀行員の仕事の魅力に胸が熱くなりました。
それから時間が経ち、紆余曲折を経て、私は融資を受ける側に立っていました。なにぶん中小企業ですし、デフレスパイラルの真っ只中という時期で、行員時代とは逆に銀行めぐりで奔走したものです。
その日も、博物館と銀行の訪問予定が交互に入る忙しい一日でした。夕方が近づいていることに気付き、遅い昼食を取ろうかな…と顔を上げると、目の前の高層ビルの案内板に見覚えのある看板が混じっているような気がしたのです。それは気のせいではなく、15年という返済の旅への船出を見届けた、あのお店でした。
喜び勇んで店に入ると、懐かしい奥様の姿が。私の顔を見るや目を丸くし、パッと笑顔になって、手を広げて迎えてくださいました。夕食の時間帯にはまだ間があるということで、案内された席に着いて、そのまま近況報告に。奥様は都心でのチャレンジはしっかりと軌道に乗り、売上は山あり谷ありながら頑張っていること。私はあのしばらく後に銀行を辞めて、いまは中小企業を経営していること…。
注文もせず話し込んでいたことに気付いて互いに笑い、慌ててメニューを開きます。奥様は、オーダーを伝えるために厨房へと戻ろうとしますが、ふと足を止め、振り返ってこう仰いました。
「そうそう、肝心なことをお知らせしないと。あの時の融資ね、来月で返し終わるのよ。」
それを聞いた瞬間、思考が停止しかかりました。すでに退職しているとは言え、稟議書を書いた融資案件が先様のお役に立ったことを知るのは、銀行員としての大きな歓び。しかし、この時はそれどころではありません。当時はまるでSF作品のように遠い未来と感じた「15年後」が足もとに迫っていることを知り、私は愕然としました。
あの開店パーティの後に過ごしてこられた179か月の大半を、私は知りません。しかし、お金を借り、返済する厳しさを骨身に染みて理解するさなかだっただけに、その重みと凄みには身震いする思いでした。そんな私に笑顔を向けて、丁重にお礼の言葉を下さる奥様の姿に、不覚にも落涙。いろんな想いを抱えながら、こちらも懐かしい定食を噛みしめるようにいただき、感謝を伝えて次の訪問先に向かいました。
そんな「奇跡の再会」は、先日に投稿したばかりの髙橋まゆみ先生の人形との出会いから2年ほど後のこと。つまり、再来年で「15年」を迎えます。会社はいまも中小企業のままですが、優れたスタッフたちの奮闘のおかげで商品やサービスは少しずつ筋力を増し、素晴らしいお客様にも恵まれて、経営面でも金融機関を駆けずり回ることはなくなりました。
長い道のり、慌てず急がず、着実に。あの学びから13年、私も「その日」に向けて歩いています。人を支え、人に支えられながら、一歩ずつ。