2022.04.30
小さな資料館の濃密過ぎるミュージアム体験 ~種市歴史民俗資料館訪問記
#現地訪問今回訪れたのは岩手県沿岸部の北端、洋野町の種市歴史民俗資料館です。この日は、かつて館長を務め、現在は町史の編纂に携わっておられる酒井久男さんのご案内付きの見学。これがもう面白くて、本格的に取材すれば本が書けるのではないかと思うほどに中身の濃いミュージアム体験となりました。
資料館は洋野町立種市図書館の建物の2階にあり、展示室がひとつ。小規模なミュージアムですので、入り口に立った時には、この奥にこれほど知的好奇心を刺激してくれる世界が広がっているとは予想できませんでした。
さっそくご挨拶し、酒井さんのガイドで展示を拝見しましょう。ゆっくり、のんびりと展示室内を巡るのですが、お話が面白くて、ざっくばらんな解説に吹き出すこともしばしば。たとえば、入室してすぐにある古い硬貨の山。
「これね、密造品なんだよ」。
え? 最初の展示が偽造硬貨? もしかして違法な感じのやつですか?
「そうそう、違法」「石巻に出稼ぎに行った人たちが作り方を身につけたんだよ」
いやいやいや…と時々ツッコミを入れながら、楽しいミュージアムトークを拝聴します。
江戸時代が金貨・銀貨・銭貨の「三貨」の時代だったことはご存じの通り。鋳造所は限られていたので遠方の地域には運ぶのもひと苦労で、時には正規の硬貨だけでは域内の貨幣経済が危ぶまれるほどの流通量不足に。一方、この地は砂鉄が採れたため、それなら「地元で作ったほうが早いよね」となるのも自然な成り行きであるわけです。
もちろん、本来なら打ち首獄門レベルの違法行為。とは言え、藩を物々交換の時代に逆戻りさせるわけにもいかない施政者たちは、やむなく黙認。人々は、炭を作っているようにカモフラージュしながら、こっそり鋳造していたのだそうです。鉄はいざとなれば溶かして生活用具に作り替えることができ、お金が必要になるとまた溶かして硬貨に戻せるスグレモノ。ただし、1両の小判と交換するには大変な数の密造鉄銭が必要になったとか。
さて、続いては、全国にその名が轟く洋野町の代名詞の話題。上の入り口の写真に写っている看板にも書いてありますね。
2013 年に放送された朝ドラ『あまちゃん』をご記憶でしょうか。作中で、主人公たちは「北三陸高校」の潜水土木科に所属していましたが、そのロケ地となったのが町内にある県立種市高校。ドラマでも歌われた愛唱歌「南部ダイバー」は、同校の海洋開発科で実際に歌い継がれています。また、日本で潜水技術を教えた最初の学校で、かつ全国で唯一、水中での土木作業に従事する潜水士の養成課程が置かれていることでも知られています。
こちらの展示は、昭和 40 年代くらいまで使われていた潜水着。極太のホースとポンプらしきものが見えますが、ボンベがなかった時代は地上から空気を送り込んでいたのですね。深く潜ると、とても一人では押すことができないくらいにポンプのレバーが重くなるそうで、レバーに鉄の棒を刺して数人がかりになったとか。
あれ? でも、『あまちゃん』の海女さんたちは素潜りだったような。展示でも岩にウニが置かれているので、それほど深く潜っているわけではないはず。それなら、ここまで長いホースを用意する必要はないのでは?
「ウニじゃなくて、沈没船を解体するために潜るんだよ」
沈没船? でも、ウニを採ってますよね。展示もそうなっていますし。
「まあ、ウニも一応ね。でも、本当の目的は解体」
垂涎の高級食材が「ついで」だったんですか…。
この地域が潜水文化で知られるようになった背景には、あるエピソードがあります。明治31 年、名護屋丸という貨客船が種市沖で座礁。その解体引き揚げ工事のために房州(千葉)の潜水夫たちの応援を仰ぐのですが、そのリーダーが住民のひとりに潜水法を伝授します。これが発展し、天然ホヤ漁でも有名な洋野町の誇り「南部もぐり」へと結実したのですね。展示室内には、この時の師弟のやり取りが記された書簡をはじめ、当時の貴重な資料も展示されていました。
「これが潜水ヘルメットね。ちょっと持ってみ」
持ち上げてみると、意外と重い。10 キロはありそうで、これをすっぽり被るのはちょっと大変そうです。靴も鉄製ですし、その脇には首に下げる鉛錘と呼ばれる重りも。これだけで 15 キロほどあるとか。
というわけで、フル装備中の潜水夫の姿はこんな感じになります。
「全部で 70 キロくらいかな」と酒井さん。70 キロの装備を着込んで海底で船の解体作業って、超人ですか。
ぶっちゃけ話を交えた酒井さんの楽しい解説はまだまだ続きます。
左の写真は、いわゆる蓑です。かや・すげなどで編んだ雨や雪を防ぐための防寒具、今でいうカッパのようなものですが、この地には海藻で作られたものもあります。右の写真はカツオを獲るための籠で、中に入れたイワシ目当てに入ってきたのを見計らい、網ですくいます。高知でも似たものを見たことがあるので、定番なのでしょうか。
「これは何だと思う?」
いたずら顔の酒井さんが指したのは、左の写真の奇妙な形をしたガラスの容器。正体は、何と「ハエ取り」。少し浮かせてある底の中央に餌を置いておくと、ハエが入ってきますね。餌を取って飛び立つと、容器の丸天井部分にぶつかって脇に落ちます。そこには水が溜まっている…という仕組み。聞けば納得の仕様です。
右の写真に写っている箱には、「消火器」と書いてありますね。実は中にボールのようなものが入って、燃えている建物に投げつけるのだとか。「どのくらい効果があったかは分からんけどね」
…まあまあまあ、古いものですもんね(汗)。でも、投擲用の消火用具は現代にもありますから、コンセプトは正しいかも。
左の写真の上に掛けてある槍は、イノシシ退治に使ったもの。まず落とし穴の罠にかけて上から突くのだそうです。右の写真の絡まった網のようなものは、「馬が道草を食わないようにする」ための道具。荷物や人を運ぶ途中、文字通り道端に生えている草を食べ始めると前に進まなくなるので、口を覆うわけですね。。その左にある大きな草履も馬用で、まだ蹄鉄がない時代の蹄の保護アイテム。「馬との暮らし」がリアルに伝わってくる展示ですね。
さてさて、ほんの一部をご紹介しましたが、いかがでしょうか。小さな資料館ながら、ひとつひとつの展示物が興味深くて、本気で紹介すると数回の連載になりそうな充実度。加えて酒井さんの解説があれば、テレビ番組の1本や2本は軽く作れることウケアイです。
この日は前月に発生した地震の影響で東北新幹線が徐行運転となっており、自宅から8時間かけての訪問でした。ところが、この小さな資料館で過ごす時間が楽しくて、移動の疲れもどこへやら。どの館でも思うのですが、これだからミュージアム巡りはやめられないんですよね。
なお、ここでご紹介した資料は、洋野町の文化財デジタルアーカイブ「洋野ヒストリア」でも公開されていますので、ぜひご覧ください。
取材協力 洋野町専門委員 酒井久男さん
洋野ヒストリア:http://www.historia-hirono.jp/hirono_public/index.php
種市歴史民俗資料館:http://www.town.hirono.iwate.jp/docs/2012111200185/