2021.11.26
「人を照らす」ということ。
#私的考察
弊社では毎年、ブース出展という形で『全国博物館大会』に参加しております。第69回を数える今年は、北海道は札幌市内での開催。『かでる2・7』こと北海道立道民活動センターに設えられた開会前の会場の様子を眺めていて、ふと気付いたことがあります。もしかして、以前よりも若い参加者が増えている? 都道府県立のミュージアムを中心に若手学芸員が増えているという話も耳にしますので、その影響でしょうか。
あちらこちらで若手の皆さんが表情を引き締めているのを目の当たりにして、同じ年頃の自分を思い出していました。銀行に入行して初めての転勤で上京したのは、26歳の時。まさに新天地でしたが、絶望的に要領が悪い上に、前任者がとても優秀だったことも拍車をかけて、担当地区の営業成績は前年比で大幅なマイナスの連続。営業会議では毎回ひどく叱責され続けて、悔しい思いをしたなあ…と懐かしむうちに、頭の中では記憶の引き出しがあれこれと開き始めます。
あの頃は、毎日うつむいてお客様先を訪問していました。良好な関係づくりを自分で放棄するも同然の態度ですが、案の定、ある日大きなミスを犯してお客様にお叱りをいただいてしまいます。「支店長を連れてきなさい」とのお言葉をそのまま上司に報告したところ、支店長にも副支店長にも断られ、たまたま転勤で着任初日だった課長が同行くださることに。ふたりで再訪すると、若い一行員がお言葉に逆らうような状況となったことがお怒りに本格的に火を点け、たっぷり1時間近く怒鳴られ続ける結果となりました。
直立不動、ずっと両手を後ろに組んで堪えてくださった課長は、帰り道、とても速足でした。着任初日に見知らぬ客先でいきなり面罵され続けたのですから、憤慨しないわけがありません。無言の足取りに動揺した私は、ひたすら「すみません! すみません!」と叫びながら、深々と腰を折っては小走りで後を追います。すると、交差点の真ん中で突然立ち止まった課長は振り返り、不格好に詫びる新しい部下の姿を見て笑いながら、こう仰ったのです。「気にするな」「これが俺の仕事なんだから」。
この日は涙が止まらなかったのですが、ひと晩ぐっすり眠ると吹っ切れました。数字が上がらなくても気に病むことなく、スーパーポジティブな姿勢で働くうちに、あれだけ苦しんだ営業成績がみるみる上がり始めます。数字的には極端に変わったので支店内ではもちろん不思議がられましたが、どん底の時代もトップの時代も、営業センスや能力的には以前のままです。変わったのはただひとつ、気持ちのあり方。このスタイルは、よりつらく、よりシビアで、より厳しい現実を突き付けられる中小企業の経営者になった今も、何とか貫いています。課長のひとことは、まさに「部下の道を照らす言葉」となりました。
博物館大会の休憩時間。フロアでは多くの参加者の方々が思い思いに談笑を始めています。その中で何組か、おそらくは別の館のご所属であろう「ベテランと若手」の交流を見かけました。熱心に質問する若手と、それに答える先輩。もしかしたら、何人かの方は、この場で「人生を変える一言」、あるいはそれに近いヒントを得たのかも知れません。
自分自身のプレゼンの緊張もどうにか乗り切って、大会は終了。この出張では、道内のいくつかのミュージアムにお邪魔しました。帰京前、最後にお会いした学芸員は、なんとウチの娘と同世代。帰り道では時の疾さに戦慄しましたが、それよりも、社業を抜きにして「自分は歳相応の『年輪』を重ねることができているのだろうか」「それなりに経験は積んだとしても、それを後進に役立ててもらう機会はあっただろうか」と考え込んでしまいました。
あの転機の日から約10年後に弊社の代表として着任し、まず会社のロゴを変更したことを思い出します。当時は30代、異業種から意気揚々と転身した生意気盛りで、勢い余って「ミュージアムを照らす存在になりたい」という願いを込めたマークに刷新したのです(そんなデザインに見えますでしょうか)。今にしてみれば僭越極まりない話で顔から火が出ますが、それでも、当時に込めた想いは現在も変わっていません。
大会の会場でお話しした方々、訪問先でお目にかかった皆様。この北海道出張も収穫たっぷりとなりましたが、まだまだお力添えをいただく側。相手を「照らせる」かと言えば、経験も能力もまるで不足していると積極的に認めざるを得ません。私は、かつての上司のひとことで、自分の道が見えました。いつかは、誰かを照らせる存在になりたいものです。