2022.02.10
暮らしも展示も、しなやかな強さ ~四万十市郷土博物館訪問記
#現地訪問今回の訪問先は、四万十市郷土博物館。外観からして壮観ですが、お城がそのまま博物館になったのかと思いきや、そうではなく。ここ中村城は、応仁の乱のころに下向した土佐一条氏の時代から、長曾我部氏や山内氏ら歴代の統治者たちが使ったとされる連郭式の山城。博物館の建物は、二の丸跡に建てられた模擬天守です。
展示を拝見するにあたっての基礎知識を授けてくださったのは、四万十市教育委員会の川村慎也さん。四万十川と言えば反射的に鮎や海苔を連想しますが、今回の訪問でより色彩豊かな暮らしぶりが心に刻まれることになりました。
では、館内へ。まず目を奪われたのが、このパネルです。緑彩に水景、架かる橋…まさにイメージそのまま、思わず「素敵な風景ですね」と声が出ます。すると、川村さんが橋を指して、さらりとこんなエピソードを。「この橋ね、撮影した一週間後に落ちたんですよ」
なんですって? 耳を疑って聞き返したところ、「沈下橋と呼ばれていて、近年は老朽化で落ちることがあるんです」とのこと。時々落ちる橋って危険すぎませんか、名前からして水没が前提ですか…。いろいろと合点の行かない表情の私を見て、まず地域の暮らしについて説明してくださいました。
日本一との呼び声も高い水質から「最後の清流」とも讃えられる四万十川。圧倒的な水量は流域に素晴らしい恵みを育んでいますが、それゆえに、逆にたびたび深刻な水害とも向き合ってきました。そのため、付近では写真のように川から山に向かって田畑→道路→宅地→神社が置かれています。巨大な堤防で水を抑え込むのではなく、水害が起こることを前提に、上手にいなしながら暮らしてきたのだそうです。
抑え込まずにいなすというのは、たとえばこんな感じです。台風などで川の水位が上がると住民は神社に避難し、落ち着くと住宅に戻ります。その際、水が引く勢いに乗せるように泥を預け、一緒に流してしまうのだとか。そうすることで、後処理にかかるであろう負担を軽減するというのです。
水害の活用(?)で、もうひとつ。川が荒れると、ふだんは静かに河原の石などに隠れている虫たちを狙う小魚の動きが活発になりますね。すると、その小魚を食べる大きめの魚も集まってくるので、釣りをするには絶好のタイミングになるとのこと。「洪水の片づけをしなければならないのに、釣りに出かけてしまうお父さん」は、四万十では定番の笑い話とか。これぞまさしく、水害と共存する人々のたくましさ、しなやかさ。
四万十川は大きくカーブして流れるのですが、海に注ぎ込むまでにはかなり細かく蛇行を繰り返すのですね。途中は、山間部を流れる渓流然としていたり、穏やかな大河の趣だったり。天然の鮎や鰻のスポットがあれば、16キロも汽水域が続く下流ではあおさ海苔が採れたり、豊かな藻が多くの稚魚を育てていたり。それはそれは、豊かな恵みを人々にもたらしてきました。
展示室を歩くと、水とともに生きる人々の姿がはっきりと伝わってきます。こうした地域のミュージアムでは豊富な漁具が展示されているものですが、こちらでもズラリ。ここまでは予想の範囲内だったのですが、ひとつ驚きが。
写真の漁具の左から2番目は投げ網で、鮎を獲るために文字通り投げて使います。長さは20メートルほどでしょうか。「これ、私もよく投げるんですよ」と川村さん。曰く、この地域では、職業としての漁師と、レジャーとして漁を楽しむ趣味人が、ごく自然かつ柔軟に共存できているのだそうです。たとえば、地元の子どもたちに頼めば、小一時間で50匹以上のテナガエビを捕まえてきてくれるほどの腕前とか。本職顔負けの手際のよさですが、遊びを通じて身に付けているのですね。
館内には展示されている鮎を獲る道具の多くは、地元では今も使われている「現役」とか。漁業に従事する人ではなく、一般住民が日常的にお使いのものも少なくありません。写真の左の木箱は、水の中を覗くための道具だそうですが、真ん中の棒の部分にはなぜか歯形が。片手は岩に置き、もう片手で竿を持ち、この木箱を咥えるわけですね。
漁に関するお話が続きます。小舟の上で火を焚いて魚を驚かせ、網に追い込む「火振り漁」も地域の伝統ですが、近年は火ではなくLEDが使われることが増えているとか。現実の生活のためであることを考えれば、より効率的なスタイルへと変革していくのは時代の流れ。観光資源として捉えるのであれば、伝承的に保存していく道もありそうですね。
四万十川の恵みと暮らしの豊かさをたっぷりと学び、少し休憩を。こちらは、博物館の最上階からの眺め。いかがですか、この360度の大パノラマ! 整然と区画整理されているエリアは、城下町として発展した地区。手前は武士たちの居住地で、現在は行政施設が集積。その反対側、城から遠い方は商人のエリアで、現在も商業地として栄えています。
地域の人々の暮らしぶりよろしく、ミュージアム自体も柔軟な発想が隅々に息づいています。エントランスのガチャガチャは、何とスタッフの手づくり。下のハンドル部分は3Dプリンタで制作したもので、カプセルの中には缶バッジなどが入っています。ソーシャルゲームやネットミームで「ガチャ」人気が再燃中の昨今ですが、これは回してみたくなりますね。
展示室の解説パネルづくりでは、地域学習でお年寄りから昔話を聞き取った中学生たちが参加する企画も実施されているようです。地元の子どもたちが相手なら行政の担当者よりも話が弾むことも多く、ヒアリングの情報量の面でもかなりの成果を挙げているとか。
さて、冒頭の「沈下橋」の件ですが。
川が増水すると橋が水面の下に沈むのが名前の由来ですが、こうした橋は各地で見られます。つまり、橋のスタイルを指した名称なのですね。中でも高知県は全国でも最多地域のひとつで、四万十川は支流も含めて実に40か所を超えるそうです。水害が避けられないなら、受け入れて共存する。上手にいなしてしまうしなやかな強さには脱帽です。
沈下橋は道幅がとても細く、運転席から見ると左右は水面。東京の道路事情に慣れているととんでもない怖さですが、「慣れますよ」と笑う川村さん。いつか、我が愛車で「日本最後の清流」を渡ってみたいものです。
取材協力
四万十市教育委員会 社会教育振興係長 川村慎也さん
https://www.city.shimanto.lg.jp/museum/