2022.07.15
作品だけじゃない「個人美術館」の魅力 ~小林古径記念美術館訪問記
#現地訪問今回の訪問先は、新潟県上越市の小林古径記念美術館。昭和46年に高田市と直江津市が合併し、さらに平成17年に14市町村が合併して現在の上越市が誕生したそうですが、現地で乗ったタクシーの運転手さんは、道中ずっと「高田推し」でした。高田城址公園を囲むようにいくつもの高校があり、夕方ということでグラウンドからは部活動に励む高校生たちの元気な声が。「産業が強い直江津も頼もしいけど、高田の自慢は文化だからね」。地元の方のご当地情報で期待を高めて、車は館に到着です。
打ち合わせが無事に終了し、その後は学芸員のご案内付きで展示を見学。この日はやや時間があったので、常設展示に企画展示、そして移築住居までじっくりと楽しむことができました。ふだん急ぎ足なので、たまにはこういう日があってもよいですよね。
まずは常設展示から。小林古径は、大正から昭和期にかけて活躍した日本画家。線描の美しさが特徴ということで楽しみにしていたのですが、評判通り、実物は素晴らしいですね。これはすごい…と一点一点に見入っていると、学芸員の解説が。
「これらの作品には、背景が描かれていないことにお気付きですか? 対象だけが描かれているので、観る人を引き込む力がいっそう際立つんですよね。」
あ〜、なるほど! 対象物の周辺があまり描き込まれず、ほぼ空白となっているので、集中力が働くんですね。鶴はその品格と鋭い眼光に引き込まれ、尾長鳥は可愛らしい仕草に頬が緩みます。全体のバランスも完璧ですし、余白部分も作品の一部なのですね。
こういう作品を創り上げる際には、いったいどれほどの集中力で臨むのでしょう。その完成度に圧倒されながら展示室内を移動すると、突如、何やらコミカルな似顔絵の寄せ書きが現れました。こちらは、若き日の古径が入門した梶田半古の画塾で、門下生たちがそれぞれ描いたものだとか。下の写真の左側、縦長の額です。
何とも楽しげな似顔絵には、親近感を覚えます。生きる時代に関わらず、前途洋々の若者たちが通過する青春のひとコマ。当時の画塾に集う若者も、学食や下宿で他愛ないお喋りを楽しんだ私たちの世代も、そしてオンラインで友人たちとつながる現代の若者も。それは、こうして個人のミュージアムが建つほどの天才も、やはり同じなのですね。
「著名な作家の大作は規模の大きな美術館が所蔵することが多いのですが、当館のように作家の名前を冠するミュージアムなら、作品以外の資料もたくさん常設展示できますからね」と学芸員。生い立ちから成長直前までの足跡を追うことができるのも、ひとりの作家に絞って作品と資料を深堀する個人美術館ならではの魅力ですよね。
その意味では、隣に展示されていた写生帳も貴重です。右の写真、開いたページに描かれているのは河口湖だそうですが、下書きのようにさらりと描かれたものではなく、かなり見ごたえがあります。こちらの館では実に15冊もの写生帳を所蔵しているとのことですので、全ページを観てみたいと思いました。絵を志す若者たちのお手本にもなりそうです。
続いては、この日に開催中だった企画展『生誕100年富岡惣一郎展』の見学へ。富岡惣一郎と言えば、独学で独創的な制作手法でも有名ですよね。旧高田市の出身で、移住先の米国をはじめ、日本よりも海外で先に評価が高まった作家なのだそうです。
「トミオカホワイト」と讃えられる美しい白は、独自に開発した油絵具を使っているのだとか。その上で、まず黒を塗り、その上に白を塗って、乾き切る前にナイフで削ってニュアンスを表現するというのですから、手間がかかっています。加えてナイフもオリジナルのもので、雪山などを描く際にはヘリを飛ばして実際を確認するというこだわりよう。
「これらの作品は、当時のニューヨークの人々の目にはとてもクールに映ったようで、『東洋の白』と絶賛されたんですよ」。学芸員の解説を聞くと、これは確かに私たちが慣れ親しんだ色彩かもしれないと気付きます。作品をじっくり観るのは初めてでしたが、日本人の私でも思わず見惚れるほどクールでした。同展は6月19日に終了しましたが、リンク先のサイトでアウトラインをご覧いただけますので、ご興味がおありの方は、ぜひアクセスを。
さて、小林古径にまつわる展示へと戻ります。続いては、こちらも貴重な古径邸(国登録有形文化財)の見学。実際にお住まいだった建物で、台所や風呂場などの水まわりを中心に当時の生活感がうかがえます。
庭を見渡す窓の大きな縁側などは、私たち現代人の憧れでもありますよね。外観はシンプルな和風建築なのですが、やはり機能美を感じます。ちなみに、ここは雪の画家・富岡惣一郎が生を受けた豪雪地帯でもありますので、近年の大雪では1階部分が積雪で完全に埋まってしまったとか。
小林古径邸の隣には、古径の画室も再建されています。とても広々した空間で、床一面に紙を広げていた様子が目に浮かぶようです。窓はやはり大きく取られていて、眺めも採光もバツグンなのですが、作品にとっては日光が強過ぎるのでは? 学芸員に訊ねるともちろん計算の上で、障子が上げ下げできるようになっているそうです。
美術作品は、人が創るもの。もちろん作品そのものが主役ですが、作家自身の人柄やエピソードに触れると、また違った角度から魅力を味わうことができるもの。今回の見学では、ふたりの作家の足跡とともに作品に接して、作家の名を冠した美術館の魅力を改めて実感することができました。
いつか仕事の第一線を退いたら、一作家の作品と人生を辿る個人美術館を選んで、一筆書きのようにつなぎながら日本列島を縦断してみたい…と思わずにはいられなかった今回の見学。美術館向かいの西堀橋を渡って振り返ると、蓮でいっぱいのお堀の向こうに館の姿が。あの運転手さんが仰った通り、ここは文化が香る街でした。
取材協力 小林古径記念美術館 学芸員 小川陽子さん
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/kokei/kokei-info.html