ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート

「推し作品」「推し資料」への熱い想いをリリックに込めて、学芸員同士がラップバトルを展開! 見た瞬間は意味が分からず、思わず読み返してしまうブッ飛んだ内容のイベント。昨年1月に開催され、各種メディアでも盛んに報道されていましたので、ご存じの方も多いと思います。そしてこの3月、めでたく第2回大会が開催されましたので、現地で観戦。2日の日程で行われたトーナメントは200席を超える客席がほぼ埋まり、文字通りの大盛況で幕を閉じました。というわけで、今回は学芸課長・福冨幸さんに舞台裏をお聞きしました。

「学芸員」と「ラップ」?

最初は、頭の中で2つの単語がうまく結びつかなかった方が大半かと思います。まず聞きたいのはここですよね…なぜラップ? 福冨さんによれば、経緯はこうです。

ある日、県文化連盟の会長に連れられて、ひとりの若者が岡山県立美術館を訪ねてきました。脱サラしてイベント会社を立ち上げるという彼は、後に今回のイベントの企画協力を務めることになる株式会社遊覧座の代表・斗澤将大さん。美術の世界にふれたいという彼は、案内役の学芸員・鈴木恒志さんが専門の仏教美術について熱く語る姿に感銘を受け、岡山市立オリエント美術館や林原美術館などにも足を運ぶことに。いずれも熱のこもった解説に感心した斗澤さんは、やがて「学芸員の知識と情熱」が生む感動をもっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになったそうです。

ミュージアムは、特別展が開催されていない時期、とりわけ冬場は集客に悩みがちです。第1回イベントは昨年の1月9日=成人の日のことで、特別展の開催予定がありませんでした。「何か新しいことをしたい」と考える斗澤さんに、福冨さんは「成人の日に若者が来てくれるような企画が欲しい」と相談。斗澤さんはいくつかのアイデアを出し、そのうちのひとつが件のラップバトルでした。館のスタッフでは絶対に思いつかないプランに驚いたものの、「これは面白そうだ」ということで、前代未聞のイベントが動き出したのです。

ファンの後押しで実現した第2回大会

県立の美術館でここまで「遊んだ」企画を通すには大変な議論があったのだろうと思いきや、意外にすんなり進んだとか。お客さんが来てくれるのかについては完全に未知数ながら、もとより来館者が少ない時期なのでマイナスになることはないだろうとの判断でGOサインが出ましたが、ひとつだけ難航したことがあったそうです。それは、「出場者選び」でした。

ギャラリートークなどで優れた話術を持つ方も多い学芸員。と言っても、ビートに合わせてリリック(歌詞)をライム(韻)して フロウ(歌い回し)を作り出すラップは完全に別物。しかも大勢の観客の前で披露するのですから、尻込みするのも無理はありません。そこで、企画発案の契機となった「斗澤さんを動かした3名の学芸員」を中心に4名を口説き落とし、第1回の開催に漕ぎ着けました(そのうちのお一人は体調不良で無念の不戦敗)。ちなみに、福冨さんご自身もエキシビションマッチに出場しておられます。

本当に可能なのか…と思われたイベントは、蓋を開けてみれば入場できない人が出るほどの人気に。テレビやネットメディアでも盛んに取り上げられる大成功を収めました。そして、業界内外からの声に背中を押される形で、第2回大会が実現。岡山県博物館協議会の加盟館にも声をかけたところ、岡山市外の館を含めて6人の「選手」が名乗りを挙げ、前回優勝者との7名によるトーナメントとなりました。

大本命が敗退、波乱の初日

ここからは、観客席から観た当日の模様をダイジェストで。会場は両日ともほぼ満席でしたが、あとで福冨さんに伺うと、1日目は少しだけ余裕があったものの2日目は正真正銘のチケット完売だったそうです。

1回戦は、行李を背負った総社まちかど郷土館の館長・浅野智英さんと、何やら昔の旅姿で登場の倉敷市立美術館・佐々木千恵さんの対決。ステージにはラップの題材となる推し作品・推し資料のスライドが大写しとなり、バトル開始です。総社は売薬が栄えた町ということで薬売りに扮した浅野さんは、日本全体の売薬の流れを把握できる館の代表として備中売薬の歴史を紹介。一方の佐々木さんは、倉敷出身の日本画家・池田遙邨の生涯と作品をプッシュ。地下足袋をはいて東海道を旅したというエピソードに倣い、佐々木さんは遙邨さんなりきりコスプレで挑みます。

双方とも万感の想いを込め、推しの魅力をリリックでアピール。勝負は会場と2名の審査員が判定しますが、ラップの上手さを競うものではなく総合力での勝負です。白熱のバトルは引き分けとなり、じゃんけんで勝った佐々木さんが決勝トーナメントへと駒を進めました。

このイベントでは、本格的なポスターが制作されています。そのセンターでポーズを決めているのは企画立案の発端にして次戦の出場者、岡山県立美術館の鈴木恒志さん。その扱いにふさわしくラップはかなり上手で、イベント発案者・斗澤将大さんを魅了した仏教美術への愛が語られました。線の美しさ、作品全体の空気感などがエモーショナルに解説され、観客は身体を揺らしながら美の奥深さを学んでいきます。

対戦者は、岡山市立オリエント美術館の伊藤結華さん。優しく丁寧な口調で、エジプト古代文明の魅力を語ります。ラップとしての練度では鈴木さんの圧勝に見えましたが、勝負は何と伊藤さんが制しました。「仏教美術がそう来るなら、古代エジプトにはこんなのがあるよ」とうまく打ち返した機転の勝利といったところでしょうか。前述の通り、技術勝負ではありませんので、これはこれでアリ。とは言え、優勝候補筆頭の初戦敗退に会場はどよめきます。

1回戦最後のマッチアップは、総社吉備路文化館の豊嶋乃女さんと、笠岡市立竹喬美術館の小松美月さん。イギリス美術への愛を語る豊嶋さんが、小野竹喬の作品をプレゼンする小松さんを破ったのですが、この対戦には後日談があります。ラップバトルから2週間後、小野竹喬の屏風「波切村」が国の重要文化財に指定されたというニュースが舞い込んだのです。小松さんのラップでは「竹喬さん」が連呼されましたので、この日に会場にいた方ならニュースを目にした瞬間に快哉を叫んだのでは。出場目的であるアピール効果を考えれば、小松さんはまさに「勝者」と言えるかもしれませんね。

万雷の拍手で迎えたフィナーレ

2日目、隣席の方とこんな会話を交わしました。「わたしは県立美術館の鈴木さんを見に来たんですよ、知り合いなので」「え、鈴木さんなら昨日敗退しましたよ」「ウソ! 本当に? 信じられない!」。鈴木さんのラップは、やはり人気なんですね。

でも、落胆する彼女に朗報が。エキシビションの「おかわりマッチ」として、総社まちかど郷土館の浅野館長との対戦が実現したのです。プレッシャーから解放された鈴木さんのラップは前日以上にキレキレで、会場は一気にヒートアップ。一方、こちらも前日とは打って変わって駅員に扮した浅野さんも大ウケで、今大会イチ盛り上がった対戦となりました。盛り上がりと言えば、この大会はプロのラッパーがMCを担当し、格闘技のリングアナのような入場コールと出場者を引き立てる秀逸なトークで華を添えてくれました。ほかにも、本格的な音響や出場者の紹介スライドなど、イベントを支える助っ人たちの活躍も見逃せません。

エキシビションは続きます。ドイツで活躍する社会派アーティストの加藤竜さんと、ヴィオラ奏者の島田玲さんの異色の対決では、審査員の情景描写ピアニスト・山地真美さんも含めて「3人でコラボイベントを開催しよう」という話に発展し、客席を沸かせました。そして、前大会でも大好評だった、福冨さんご自身と吉實孝雄さんによる県立美術館・学芸課長vs総務課長の対戦も。「人も予算もぜんぜん足りない」と訴える学芸側と、「学芸員は自由でいいですね」とうらやましそうな総務側。軽くディスり合いながらも仲の良さが垣間見える、楽屋ネタの一幕でした。

さて、決勝トーナメントでは、いよいよディフェンディングチャンピオン・林原美術館の橋本龍さんが登場。自ら能面を被り、さすがの話術と言うかラップで客席を魅了したのですが、何と総社吉備路文化館の豊嶋さんに敗退してしまいます。その豊嶋さんは、岡山市立オリエント美術館の伊藤さんを下した倉敷市立美術館の佐々木さんとの決勝バトルも制してそのまま優勝、見事2代目チャンピオンの座を獲得。そして最後は出場者が舞台で大団円、万雷の拍手の中でのグランドフィナーレ。満足げに席を立ち、会場を後にする観客の皆さんから口々に聞こえてきた「楽しかったね」「○○さんのラップがよかった」といった会話が、満足度の高さを示していました。

イベント開催の成果は

優勝者には、ご本人と所属館をフィーチャーしたポスターが制作され、自館と岡山県立美術館に1年間掲出されるそうです。これがなかなかのPR効果で、昨年は林原美術館の橋本さんを直接訪ねる来館者もいたとか。また、会場ではイベント公式Tシャツも販売されたのですが、出場者の所属館に行くとタグの角を切り取ってステッカーと交換してもらえるという工夫も。開催して終わりではなく、その後も館に足を運んでもらう動線づくりも盛り込まれているわけです。

そしてもうひとつ、イベントの振り返りとして「学芸員の推しラジ」というポッドキャストの配信も。岡山県立美術館・鈴木さんの気合いの入った準備ぶりや、それとは真逆の総社吉備路文化館・豊嶋さんの「一夜漬けぶり」といった舞台裏の様子のほか、上記の公式Tシャツを着た親子連れが豊嶋さんに会いに来てくれた…というイベント後のエピソードも紹介されていました。

出場者たちは他館の学芸員から「観ましたよ」と声をかけられたり、なぜか岡山県庁内で大受けだったり。「ここまでバラエティに富んだ館があると知らなかった」「今日ラップを聞いたミュージアムに出かけたい」「次の開催はいつですか」という声も聞かれるなど、開催効果はあちこちに波及しているようです。

ファンの裾野の拡大に貢献

客席には両日とも老若男女で年齢層が広く、子ども連れの姿も。美術館への入り口を今までと違う場所に置くという観点では、その反響が証明するように大成功と言えるでしょう。今大会を観戦したのべ400名前後の方々は、ラップで連呼された「遙邨さん」「竹喬さん」らの作品をスマホで検索したはずです。

出場した学芸員の勇気にも拍手を贈りたいと思います。カラオケボックスで歌うのとはわけが違う難易度の高さにも関わらず「館のPRになるなら」と立ち上がり、多忙な本業の合間を縫って準備を進めて大勢の観客の前で披露したわけですから、その学芸員魂には本当に頭が下がります。

「作品を見に来てくださるだけでなく、出場した学芸員自身を推してくれるお客さん、学芸員ファンも開拓できたのでは」と満足げな福冨さん。次回の開催は未定とのことですが、反響の大きさを見て出場意向を固める学芸員がたくさん名乗り出れば、第3回も現実のものになるかも。これだけ好評なのですから、ぜひ継続開催の定番イベントへと育つことを願わずにはいられません。

このイベントでは、オリジナルTシャツも用意されていました。前にはラップを披露する学芸員とコレクションのイラスト、背中側には参加各館のロゴが入っています。前面の右下には、参加館を訪れると左右下の角をカットしてステッカーと交換してもらえるタグが。ステッカーのデザインも手に入れたくなる仕上がりで、ラップの余韻が冷めないうちに各館を回る人も多かったのではないでしょうか。

岡山県立美術館
https://okayama-kenbi.info/

学芸員ラップバトル
https://g-rap.jp/

学芸員の推しラジ
Spotify https://open.spotify.com/show/5PZDVcCMu7ykxrDyNhGhH7?si=439440eecc014845
Apple Podcast https://podcasts.apple.com/us/podcast/%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E5%93%A1%E3%81%AE%E6%8E%A8%E3%81%97%E3%83%A9%E3%82%B8/id1735496046
YouTube https://www.youtube.com/watch?v=tVSDGch-IbQ&list=PLiZxtrXUrhgQDxyejnLOcKPtivIzqU84F