2024.09.01
Web APIで「未来あるデジタルミュージアム」を創設 おだわらデジタルミュージアム
学芸員が厳選した小田原市の収蔵資料を、特別コンテンツのジャンルやテーマごとに閲覧できる『おだわらデジタルミュージアム』。収録コンテンツは多岐にわたり、高精細画像や3Dコンテンツ、VRツアー、映像や年表、キッズコンテンツやまち歩きをしたくなる文化財マップ…など、まさに充実の内容です。実は非常に短期間で準備されたもので、推進する中では思わぬ成果もあったとか。ということで、今回は注目のデジタルアーカイブ事業の舞台裏を取材しました。
短期決戦の作業とは思えない仕上がり
今回お話をうかがったのは、小田原市郷土文化館の鈴木 悟さんと吉野 文彬さん。鈴木さんは、以前の勤務先である小田原市立中央図書館が古文書や絵図など貴重な資料を豊富に所蔵していたことから、文化資源のデジタル活用について着目。当時はまだ「デジタルライブラリー」「電子図書館」と言われていましたが、その頃からIT企業の社員を相手に議論を交わしていたそうです。
小田原市郷土文化館に着任後にはその想いがさらに強まり、吉野さんとともに資料整理やデジタル化の必要性を痛感する日々を送っていたところ、総務省のデジタル田園都市国家構想推進交付金の話が舞い込みます。デジタル化を一気に進める千載一遇のチャンスと考えたお二人は、本腰を入れて取り組むことを決意。自館に加え、市の文化資料のポータルサイトという主旨のもと小田原城天守閣や小田原市尊徳記念館、小田原市立中央図書館、小田原市郷土文化館分館 松永記念館そして文化財課も参加する一大プロジェクトとなりました。
最初のミーティングは2022年3月に行われました。性質の異なる施設が集まってのデジタルアーカイブ事業は、完成すれば素晴らしい成果が得られる半面、調整が非常に難航しがちです。同プロジェクトもその例に漏れず、データ項目の設定から苦労の連続だったようですが、関係者の皆さんの並々ならぬ熱意によって最短期間で乗り越えて、デジタルミュージアムが完成。2023年3月末に、無事に公開へと漕ぎ着けました。
アクセスしてみると、これを短期集中で仕上げたとは思えないほど素晴らしい出来栄え。ここでは、鈴木さん・吉野さんにうかがった舞台裏のエピソードとともに、その魅力の一端をご紹介しましょう。
劣化が進む資料の保全にも貢献
まず、トップページのスライドショーから。使われている素材は、弥生時代中期中葉における東日本最大級の規模を誇るという市内の中里遺跡から出土した「中里式土器広口壺」です。この遺跡の出土品は、関東地方における稲作農耕社会への転換期の様相を解明する上で、極めて重要な資料とのこと。小田原市の豊富な文化資源を検索できるデジタルアーカイブの「表紙」としては最適なチョイスと言えるでしょう。
このスライドショーもそうですが、サイトを順に閲覧してみると、画像の美しさにお気付きかと思います。交付金を活用した今回の事業では、1億画素まで撮影できる高性能なデジタルカメラを購入。その威力は絶大で、むしろ肉眼で見るよりも細部まで鮮明な画像を提供することができるそうです。たとえば背広なら、ガラス乾板の保存状態が良好だったので、布の質感まで確認することができるとか。専門機材ということで撮影作業は専門業者に委託しましたが、カメラ自体は手元に残ったため、今後は職員がコンテンツを増やしていくことも可能になりそうです。
画像とともに印象的なのが、映像資料もアーカイブされていること。小田原市では、昭和40年代前後に撮影された16ミリフィルムを数多く所蔵しており、そのうち郷土に関するものは126本も所蔵しているそうです。地元の地誌を中心とした紀行系の映像で、長く市の視聴覚ライブラリーに保管されていましたが、これらを今回の事業で一気にデジタル化。デジタルミュージアムでは、現在70本ほどの映像が公開中です。
今回のデジタルミュージアムは、市内の文化情報をオンラインで広く一般公開できたこともさることながら、劣化が心配されていた多数の資料がデジタルデータ化されたことも大きなポイントです。上記の映像フィルムのほか、たとえば古文書や古絵図などのデジタル化も大きく進展。これらの資料は、以前は書面で申請した希望者にのみ専用の場を用意して公開してきましたが、高精細画像の公開によって閲覧のハードルが大きく下がることになりました。館側も閲覧者側も労力を削減できますが、加えて、資料を広げたり巻き直したりする作業がなくなることで劣化が進むのを食い止めることができます。保存状態が気になる資料については、デジタル化は絶大な効果をもたらすわけです。
先生方も使いやすいキッズミュージアム
さて、サイトに戻りましょう。おだわらデジタルミュージアムには、「キッズミュージアム」という子ども向けのコーナーも用意されています。最近は、好奇心旺盛な子どもたちがタブレットを操作して情報にアクセスする姿もお馴染みとなりましたが、教育現場では学術関係者や博物館学芸員が文化資源情報のデジタルツールを使って授業を行ったという話も珍しくなくなりました。ただ、学校の先生方も積極的に利用しているかと言えば、実際はかなり難しいようです。なにぶん多忙な中ですので、事前の下調べなどの負担の大きさを考えると、やむを得ないところでしょう。
ところが、おだわらデジタルミュージアムでは、その点もすでに対策済みでした。キッズミュージアムの企画制作にあたっては当初から小田原市の教育研究所が参画していたそうで、メインのコンテンツは実は教室で長年にわたって愛用されてきた副読本が元となっているのだとか。紙からタブレットに移っただけなので先生方にも使いやすく、しかもPDFではなくHTML形式で作られているためデジタルアーカイブとの連携もバッチリ。なるほど、この形式なら教室でも大いに活用されそうです。
Web APIの活用で大きく広がる可能性
教育現場での活用と言えば、今回のデジタルミュージアムは、将来的には防災面での貢献も見据えているとのことでした。あの東日本大震災以降、大規模災害の教訓を後世に残すために建立された自然災害伝承碑が大いに注目されるようになりましたが、実は国土地理院のホームページで全国マップとして閲覧することができます。今後はこうした外部コンテンツの連携・活用も進め、多方面に役立つデジタルミュージアムへと育てていきたいとのことでした。
こうした姿勢を示す好例が、小田原市の都市OSを通じて提供されているデータを活用する「小田原さんぽ」といまち歩きアプリです。都市OSとは、住民に最適化されたサービスの提供などを実現するソフトウェア基盤のこと。おだわらデジタルミュージアムでは、I.B.MUSEUM SaaSのWeb APIを取得して情報を発信していますが、そこに都市OSが連携すれば、同じ自治体内のさまざまな部署でのデータ活用が可能になります。たとえば、前述の自然災害伝承碑マップなら、取得したデータを市のハザードマップ上に表示することも実現可能となるでしょう。
このように、Web APIを上手に活用すると、多様なシーンを最適なデジタルデータで彩ることになります。I.B.MUSEUM SaaSの場合は、デジタルミュージアム用のデータをシステム上で追加・更新すると、その情報が他部門のツール内で発信する情報へと自動的に反映される仕組みを構築することも可能。二度手間がなく、作業負担ゼロで、そのデータをより多くの人々に提供できるわけです。
こうした背景から広く展望が開けるデジタルミュージアムですが、一方で、そこに到達するにはいくつかの課題もあります。たとえば、こうした情報満載のコンテンツは、有料サービスとして運営されてきた例も少なくありません。同様のコンテンツをオープンデータとして公開するとなると、これまでの収益力を失うことを意味するため、サービスの提供法についての考え方を関係者間で統一しておく必要があります。複数館が参加するデジタルアーカイブは項目設定など細部の協議が必須となりますが、時には自治体の住民サービスにまつわる方針などにも影響することがあるため、事前の意思確認・統一が重要となるのです。
公開がゴールではなく、そこからがスタート
今回の事業の全体像についてうかがったところ、あくまでデジタルミュージアムの「創設」業務と位置付けているとのことでした。よく使われる「構築」ではないのは、デジタルミュージアムの開設は、プロジェクトのゴールではなく、そこから続く長い歴史の最初の1ページというニュアンスを重視しているため。その一環として「未整理の資料があることを市として新たに認識する機会」に恵まれたことは、デジタルアーカイブの整備とは別の大きな成果になったそうです。最後に、このエピソードをご紹介しましょう。
小田原市郷土文化館の学芸員は、現在、考古担当2名、美術担当1名の3名体制で、自然史の担当がいません。一方、館では自然科学分野の標本を数多く所蔵していることから、市内にある神奈川県立生命の星・地球博物館と横須賀市の観音崎自然博物館の協力を仰ぎ、デジタル化の作業と並行して標本の同定を進めることになりました。その過程で、昭和30年代に江の島ヨットハーバーが造営されて以降、相模湾では目撃情報が途絶えていた海藻類の標本が見つかりました。これは、県内でも非常に珍しい貴重な資料とか。つまり、今後の展示にも影響する大発見となったわけです。
ご覧になればお分かりの通り、堂々たる出来栄えとなったおだわらデジタルミュージアム。しかし、デジタルアーカイブは公開がゴールではなく、そこからが始まり。コンテンツを継続的に拡充し、利用者の幅を広げる活動を継続してこそ、資料や施設の価値を高めること。その重要性を改めて学ぶ取材となりました。
おだわらデジタルミュージアム https://odawara-digital-museum.jp/