ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート

I.B.MUSEUM SaaSは、特定の人にだけ情報の閲覧を許可することができる「限定公開」機能を備えています。前号では、巡回展における巡回先の館との情報共有にお役立ていただいた高知県立美術館の事例をお届けしましたが、今回は「作家との情報共有」という新しい活用方法をご紹介。データベースで公開したコレクションの画像をヒントに作家が制作に取り組むという斬新な試みです。

ミュージアムと今回の企画展について

写真の不思議な建物は、岐阜県の多治見市モザイクタイルミュージアムです。多治見市笠原町と言えば、施釉磁器モザイクタイルの発祥地にして全国一の生産量を誇る「タイルの聖地」。2016年6月に開館した同館は、タイルにまつわる膨大な数のコレクションとともに地域が長く育んできた技術などについての情報を発信しています。個性にあふれるミュージアムであることは、この外観だけでもご理解いただけるでしょう。

さて、今回ご紹介する取り組みは、2022年2月11日から3月27日まで開催された企画展「コレクション探訪 with こだんみほ 銭湯幻視―モザイク湯」でのひとコマ。モザイクタイルに魅了され、自らの作品に昇華させてきたアーティスト、こだんみほさんの作品を集めた展覧会です。タイルによるアートの象徴とも言える銭湯をはじめ、街なかに実在する、あるいは実在した場所のタイルを模写し、再構成して樹脂でコーティングするという独自の技法を会得。今回は同館の作品データベースに並ぶ画像から得たインスピレーションをもとに展覧会に合わせて制作した新作も展示されました。

2016年から制作を開始したという独特な作品世界は、アクセサリーなどに使用するレジンという樹脂を使用して創り上げるそうです。下絵に色つきのレジンを乗せたり、逆に下絵の方に色を付けて透明のレジンを乗せたり…と、作品のイメージによって制作法をアレンジ。日常の風景に溶け込むタイルですが、アーティストの視点を通してコレクションの魅力を再発見するというスタイルは、そのまま応用できそうなミュージアムも多そうですね。

I.B.MUSEUM SaaSの「限定公開」の活用法

さて、同館がID・パスワード付きで公開したデータベースには、全部で1万件以上のデータが収められています。画像のある「見本帳」が6,600件超、その他が2,000件超。今回の企画展の準備にあたり、ミュージアムサイドでは「こだんみほさん制作専用データベース」と位置づけ、開催予定時期の1年ほど前に設定を完了。IDとパスワードは、こだんさんご本人だけに伝えられました。

データベースを閲覧したこだんさんからは、「こんなにたくさんのタイルを見られるのは初めて。至福の時でした」との感想が寄せられたそうです。一方で、担当学芸員はデータベースを介した作家とのコミュニケーションに手応えを感じつつも、言葉以上に雄弁な作品が届いたことに感動。実りの豊かな試みとなりました。

実際の作品とデータベース

開催背景についての知識を得たら、学芸員にご解説いただきながらの見学へ。

まずは、立方体と花で埋め尽くされた、こちらの作品から。カラーでご覧いただけないのが残念なほど温かく可愛らしい雰囲気に包まれています。作品タイトルは…と確認すると、『万代湯』という文字が目に飛び込んできてびっくり。何と、私がむかし住んでいた独身寮の近所にあった銭湯なのです! お風呂はあったのでこの銭湯に通うことはありませんでしたが、レトロな外観は記憶にあります。学芸員に確認すると、やはり間違いなさそうでした。何という偶然!

銭湯なら実際に足を運んでタイル張りの浴室内を見学し、その時の心象を作品に込めるこだんさん。もちろん、万代湯にも訪問されたようです。図案としての独自性もさることながら、作品から温もりがあふれ出ているように感じたのですが、あながち間違いではなかったようです。

データベースでタイルの見本帳を見ると、近い印象の資料が見つかりました。こだんさんも実際に制作の参考にされたようです。いろいろな要素が重なり合い、作家個人の心のフィルタにかけられて、新たな作品が生まれるわけですね

 

さて、注目のこだんさん限定公開のデータベースですが、収録データから着想したという作品も展示されていました。たとえば、こちらの『カラン「あかし湯」』は、データベース内のタイルの見本帳で原型を見つけることができます。タイムスリップしたかのようにレトロで幻想的なデザインに目を奪われる作品ですが、「60年ほど前のモチーフを見て、アーティストはここまで自身の世界を膨らませることができるんだなぁ」と感心させられます。

タイムスリップと言えば、次の『体重計』も似た印象ですね。『玉石に日本菊を入子』というタイル見本帳にインスパイアされたというこの作品は、体重計の文字盤部分を想定しているのでしょうか。クラシカルな木枠と相まって、古きよき時代の銭湯の活気が偲ばれます。

言われてみれば、昭和の生活空間にはタイルがたくさんありました。タイルはただ機械的に並べて貼り付けるだけでなく、場所によっては空間の印象を決定づける絵や模様が施されていたものです。そこには、タイル職人の技と遊び心があり、人々の暮らしと密接に関わることで熟成される「味わい」がありました。私と同様に、昭和世代のご同輩ならきっと「タイルがある風景」をご記憶のことでしょう。

建材としての個性のみならず、使われた場所の空気や昭和の息遣い、そしてその時代を生きた人々の人間味までコーティングしたかのような作品を集めた展覧会。現地を訪れて体感するという作家の熱意には頭が下がりますが、とは言え、現実的には足を運べる場所は限られます。今回は、それを補う手段として、限定公開機能の活用による創作資料の提供が実現したわけですね。作家ご本人をして「至福の時」とまで言わしめる充実のデータベースを有する専門ミュージアムの底力を見る思いです。

アナログの温かみと、デジタルの利便性が融合して紡がれた展覧会。それは、ミュージアムのデータベースとアーティストという意外な組み合わせによる見事なコラボレーションが結実した好事例であり、デジタルアーカイブの活用法についての新たなヒントとなる一例とも言えるでしょう。展示ガイドアプリ「ポケット学芸員」でも顕著ですが、全国各地のミュージアムで新たなアイデアが生まれ続けていることを実感する昨今。次はどの館からどんな企画が現れるのか、今から楽しみです。

 

多治見市モザイクタイルミュージアム

https://www.mosaictile-museum.jp/