ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート

今回も海外編・第3弾のミュージアムリサーチャー。
プラド美術館で開催されたディエゴ・ベラスケス展のレポート後編です。

「ベラスケスの寓話:黄金時代の神話と秘史
(Velazquez’s Fables. Mythology and Sacred History in the Golden Age)」展
レポート(後編)

ディエゴ・ベラスケス
《鏡を見るヴィーナス》1648年頃
Diego Velazquez,”Venus del espejo”

“ヌード”のセクションでは、ベラスケス唯一の女性裸体画《鏡のヴィーナス》とティツィアーノによる《ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド》が並べて展示されています。《鏡のヴィーナス》は、ベラスケスの傑作のうち、プラド美術館が所有していない数少ない作品のひとつ。ロンドン・ナショナルギャラリーの所蔵品ですから、こんな贅沢なめぐりあわせは、そうそうないでしょう。

この作品を制作した当時、ベラスケスはイタリアに滞在しており、ティツィアーノをはじめとしたヴェネツィア派の絵画から、制作の転機ともなるほどの影響を受けていました。ベラスケスの作品だけをみると、それまでの彼の作品に希薄だった華やかさや優美さという点だけに目をとらわれがちですが、ティツィアーノの裸婦像と比べてみると、むしろベラスケスの独自性に気がつかされます。横たわる裸婦を正面から描くことは、カトリックの規範が厳格なスペインにあって難しかったのでしょうか、うしろ向きのヴィーナスの顔は鏡をとおして見られるだけです。が、そのうしろ姿の妖艶なこと!後期のベラスケスが自家薬籠中のものとする、対象がまとう空気を伝えるかのような筆致が、ここで遺憾なく発揮されています。複製ではわからなかった艶やかさに、しばし見とれてしまいました。一方、似た構図で描かれたティツィアーノの裸婦は、彼に特有の光沢ある質感で描かれており、対比することで両者に一層の趣をそえてくれるように思われました。

最終セクション、“寓話を編むこと”では、ベラスケスの「寓話」画の到達点として、2つの傑作があげられています。《アラクネの寓話(織女たち)》とあの《ラス・メニーナス》です。《アラクネ》はタイトルが示すとおり「寓話」(fable)を描いたもので間違いないとして、《ラス・メニーナス》は?スペイン王家の集団肖像画では?

実は、《アラクネ》が、神話の一場面を描いたものだという認識も自明なものではありません。20世紀半ばまで、この作品は前景に描かれた女性群像から、同時代の織物工場の様子を描いた風俗画だと思われていました。ところが当時の研究者によって、絵画の主題は、画面の奥にさりげなく飾られた画中画が告げている、女神アテネと織物の名手アラクネとの織物勝負の場面である、という指摘がなされました。それにしたがえば、同時代の労働者にしか見えない前景の女性たちも、古代ギリシアの女神と女性たちである、ということになりますが、いまはその解釈が通説となっているようです。たしかに、同時代の民衆の姿を大々的に描きながら、画面の奥に配した小さなモティーフから神話的「寓話」を描いたものだとする手法は、ベラスケスが若いときから得意としてきたものであり、鑑賞者はそれを企画展の最初のセクションから自分の目で確認することができます。「リアル」な同時代の場面と、「フィクティブ」な神話の場面をひとつの画面の中で融合させること。
鑑賞者は、現実を見ているつもりで虚構を見ており、虚構を見ているつもりで現実を見ているといってもよいのでしょうか。神話を、あるいは現実を物語るベラスケスの語りの手法が、このふたつの狭間へと鑑賞者をいざないます。

ディエゴ・ベラスケス
《ラス・メニーナス(女官たち)》
1656年頃
Diego Velazquez,”Las Meninas”

さらにここで種明かしをすると、「ベラスケスの寓話(Velazquez’s fables)」という企画展のタイトルには、「ベラスケスが描いた寓話画」という意味のほかに、「ベラスケスの語り方」という意味も担わされています――ベラスケス的ダブル・ミーニング。ベラスケスの絵画的な「語り方」が、もっとも洗練されたかたちで発揮された作品が《ラス・メニーナス》であることは、多くの方が賛同されることではないでしょうか。この作品でベラスケスは、周知のように、鏡と消失点をたくみに使った画面構成で、画中に描かれた画家が描いているはずのスペイン王夫妻(その姿は鏡にぼんやりと映るのみ)が、ほかならぬこの作品全体の鑑賞者の位置にいるような空間造形を行っています。絵画の外にいる、鑑賞者までが絵画内空間に取りこまれるしくみ!多くの絵画で神話と彼の同時代を融合してみせたベラスケスは、ここにいたって、絵画の内と外、ベラスケスの時代(の鑑賞者=王)とその後代(の鑑賞者=私たち)を融合することにまで成功しているかのようです。

一般に、肖像画の巨匠として語られることも多いベラスケスの、「寓話」展。意表をつく切り口から、ルネッサンスからバロック、そしてそれ以降へとつらなる絵画史における、ベラスケスの格別な重要性をしっかりと体感させてくれる、じつに滋味深い展覧会でした。

【プラド美術館 Museo Nacional del Prado 】

http://www.museoprado.es/ (スペイン語、英語、日本語※)
※主要作品紹介とインフォメーションのみ

【ミュージアム情報】
●所在地
Paseo del Prado s/n. 28014. Madrid

●アクセス
地下鉄:Banco de Espana駅、アトーチャ(Atocha)駅
バス:路線9, 10, 14, 19, 27, 34, 37,45
電車:アトーチャ(Atocha)駅

●開館時間
9時~20時
12月24日、12月31日、および1月6日:9時~14時
(受付は閉館30分前まで)

●休館日
毎月曜(月曜の祝日を含む)、12月25日、1月1日、聖金曜日、5月1日

●入館料
常設展:6ユーロ(割引3ユーロ)
企画展:随時料金設定

芸術の散歩道共通チケット:14.40ユーロ
(プラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターにそれぞれ一回ずつ入場できる共通チケット。一年間有効。企画展の中には入場できないものもあるので、別途チケットを購入する必要があります。)

無料入館日:
日曜の9時から19時
10月12日(コロンブス記念日)
11月19日(プラド国立博物館記念日)
12月 6日(スペインの国民の祝日)
5月 2日(マドリッド地区の公式祝日)
5月18日(国際美術館デー)