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わせだマンのよりみち日記

2019.05.30

白と水を足したら泉になる~泉のように、人々が集う宿と美術館に。-薩摩伝承館見学記

指宿白水館は、昭和22年6月に鹿児島市内で開業し、その13年後に指宿に移った老舗旅館。白と水を足したら泉になり、泉は人々の心を癒し、憩いを求めて多くの人が集まり、街が発展する―――「白水館」という名称には、そんな願いが込められているそうです。

今回見学させていただいた「薩摩伝承館」は、その指宿白水館の中にあるミュージアム。平等院を模したという荘厳な外観を見て、いきなり動けなくなりました。日本の伝統美にあふれた外観が目に飛び込んできた瞬間、「この感動を絵で表現できたら、どれほど楽しいだろうか」と思いました。

何事も挑戦です。何とも無謀ではありますが、いつものスケッチブックに描いてみました。

これが、その時の絵です。いざ公開となるとさすがに勇気が要りますが、自分なりに現地で感じた雰囲気を表現してみたつもりですので、ここは勢いで。申すまでもなく、実物ははるかに美しいですので、ぜひ皆さんも足を運んでみてくださいね。

館内は、スタッフの方にご案内いただきました。改めて感謝の気持ちを込めつつ、ここからは写真で。

入口では、美しい薩摩焼の出迎えを受けます。上品でかつ豪華、驚くほどの繊細な絵付けに感嘆。日本が初めて正式に参加した1867年のパリ万博では、日本とは別に薩摩独自で出展していたそうです。それだけ独自の文化であるという自負があったのでしょうか。この薩摩焼を見ると、そんな想像もさほど的を外してはいないのではないかと思ったり。納得の美しさです。

 

1階に展示されている多くの作品はケースに収められておらず、オーラを直に浴びることができます。こんな具合に、目の前で直接見ることができるというのは、何とも贅沢ですね。描かれている絵にぐ~と目を寄せて、人物の髪1本を描く超絶技巧を至近距離でじっくり観察。いや、これは素晴らしい体験です。

パリ万博で人気に火が付いた薩摩焼は、豪華な室内装飾品として人気を博したとのこと。西洋の室内空間を飾った様子を再現したのが、この金襴の間です。壁は本当に金箔を敷き詰めているそうで、眩いばかりの輝き。あまりの煌びやかさに見落としてしまいそうになりますが、絵付けだけでなく、立体的な装飾もすごいです。人物や生き物のカタチが、とても精巧に表現されていました。

十字の間と名付けられたこの展示スペースでも、絵付けの美しさをじっくり観察できます。薩摩焼は指輪にもなっていたようですね。

 

こちらでは、なんと結婚式を開くこともできるんですよ。お邪魔した日も、参列者の席と赤いじゅうたんが用意されていました。写真の右手には先ほどの金襴の間と十字の間があり、豪華な薩摩焼の作品に囲まれる格好です。ここでしか味わえない挙式、まさに一生の思い出になりそうです。

写真が撮影できるのはここまで。2階には、幕末から明治にかけて日本を牽引した薩摩藩の足跡を示す充実の資料が展示されています。西郷隆盛の書簡や所持していた懐中時計、現代の薩摩焼の作品も展示されていました。

なお、薩摩焼は、ここでご紹介した豪華絢爛で繊細な絵付けのものだけでなく、白無地のものやシンプルな幾何学模様のものもあります。県内各地に散らばる窯ごとに個性があるのでしょうか。なお、土はやはり県内のものを使うそうで、指宿はその代表的な産地とのことです。そのほか、鹿児島出身の橋口五葉の版画が何枚も展示されていたり、藩のお姫さまが使ったという薩摩藩の籠があったり。このフロアだけでも、ひとつの美術館として十分なボリュームでした。

ここでふと気づいたことがあります。こちらは、地元の温泉旅館が作った企業ミュージアムなのですが、展示は一貫して地元薩摩の美しさを伝え、地元の先人の足跡を顕彰しています。それは公立の歴史系博物館の展示に近い印象で、企業の色がまったく見えません。ミュージアムを作った方々、創業者と現会長の二代にわたる地元への想いの強さ、公益重視の姿勢が伝わってくるようにも感じられました。

薩摩の先人が作り、育て、守った文化を、広く発信しながら地元に還元する。目の前に浮かぶかのように明確な意思を目の当たりにした後、冒頭でご紹介した「白水」の言葉に改めて触れると、地元を背負う老舗企業の使命感に圧倒されます。素晴らしい外観と充実の展示が、まるで答え合わせのように整合しました。

そう言えば、入口にあった藤棚は、平等院から株分けされたものだとか。千年の都にも響いた情熱に、脱帽です。

 


●薩摩伝承館 http://www.satsuma-denshokan.com/