2021.07.07
データベースの不思議な旅
#私的考察学芸員の解説に耳を傾けている時、ふと「いま見ている視点」を意識することがよくあります。同じ資料でも見え方が違ってくるので、大きな流れの中で視点を移動していくことは、とても大切だと思うのです。たとえば、傑作として知られる『東海道五拾三次之内 庄野 白雨』を見る時、「旅もの」として見るのか、「雨もの」として見るのかによって、感性のポイントを切り替えますよね。企画展全体を学芸員がプロデュースした作品と捉えるなら、展示室内の順路はまさに「文脈」の流れと考えることもできます。
これに対して、膨大な情報が混在するネット空間では、より偶発的な切り口で出会い、突発的かつ連続的な変化の中での作品体験が起こり得ます。たとえば、同じ広重の『名所江戸百景 深川万年橋』の画像を見た時のこと。ふと亀が吊るされている理由が気になって、帰りに検索しました。当時の人々は、捕らわれた動物を逃がすことで徳を積み、極楽浄土に行くことができると信じていた…なるほど。読み進めると、それを「放生」と呼び、弊社近くのお寺でも毎年「放生会」を開催していることを知ります。一方、タイやミャンマーにも「タンブン」と呼ばれる似た習慣があるそうで、検索するとオレンジ色の衣装をまとった僧侶が金色の器を持つ写真が。この色の組み合わせから、以前、福岡アジア美術館で見た東南アジアの人力車「リキシャ」の装飾を連想。確か日本のスタイルがルーツだったはず…と再度検索すると、人力車を描いた浮世絵がヒットしました。
亀が描かれた浮世絵に始まり、近所のお寺から東南アジアへ飛び、福岡アジア美術館経由で浮世絵に戻ってくる。文字に起こすとまさに「脈絡のない」支離滅裂なルートを巡っていますが、思考の赴くままに任せた不思議の旅のおかげで、『深川万年橋』と放生会&タンブン、そしてリキシャはセットで脳裏に刻まれることになりました。
近年、画像を含む資料データベースをインターネットで公開するミュージアムが増えました。素材が揃えば、応用法が広がるのは必然です。特定の単語に張られたリンクから次の項目へと飛べる仕組みはすっかりお馴染みですが、「もうひと工夫」は十分可能。検索時にサジェストキーワードが表示されるように、ミュージアムサイトなら学芸員責任編集の「文脈」が自動的に生成されるような仕組みがあれば、オンラインツアー的な感覚で「思考の旅」の提案が可能になるかもしれません。
作品自体を地図に見立てて、『庄野 白雨』なら雨の部分をタップしたらほかの絵師の雨作品へ、人物の頭部なら笠・傘が描かれた作品のページをレコメンド。作品だけでも無数のルートが作れるほか、和傘の職人技や伝統工芸としての魅力、英国紳士のステッキにまつわるストーリーなど別分野の資料に結びつけて雑学ネタを盛り込むのも楽しそうです。こうした文脈がいくつかあれば、旅行会社の店頭のように「知の旅」「思考の旅」のパッケージツアーを並べることも可能となるでしょう。
弊社は、創業から一貫して「博物館の力」「学芸員の力」を重視しています。全国の館の公式サイトが資料情報の公開からさらに一歩進み、「学芸員が添乗員を務める不思議な旅」の拠点となれば、ミュージアムの存在感も俄然増すはず。問題は、その力を日常業務の中で気軽に、コストも労力もかけることなく発揮できる器をどう実現するか。上記の例の場合なら、いくつかの文脈を脚本化して形にするだけなら問題ありませんが、オンラインらしくパーソナライズや自動生成的な要素を組み込みながら全体をまとまりあるコンテンツに仕上げるとなると、データベースと直結させた弊社「博物館クラウド」のインターネット公開機能を実装した時のような仕組みづくりが必要となります。
ミュージアム専業のシステム業者として、しっかり考えたい博物館力の活かし方。こちら本業における思考の旅も、まだまだ続きそうです。