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わせだマンのよりみち日記

2010.07.22

地方を訪れて思うこと。

「北海道から九州まで、こんなにたくさんのお客様にお世話になってるんですよ。」
「仕事で全国あちこちを旅できるなんて、いいですね。」

そうなんです。この仕事を始めて5年、出張経験がない県はあとわずかになりました。出張先のホテルでテレビ番組「秘密のケンミンShow」を観ていたら、ちょうど滞在中の街が紹介されて……という偶然も2度ほど経験したり。

お陰様でお客様に恵まれ、どのエリアに出かけても良い思い出でいっぱいの私。全国をくまなく回っていると、当然、私たちの「日本」の素晴らしさにたくさん出会います。車窓から見える原風景、車内で見かける元気な地元の学生たち、その土地独特の郷土料理に伝統文化、温かみのある方言。そして、もちろん、地域に根を張る博物館。何を見ても「日本って、いいなあ」と思ってしまうのです。

しかし、こうして日本への愛着が増すほど心配になることがあります。

それは、駅前の商店街がシャッター通りとなっている街が、あまりにも多いこと。私が体感した限りでは、商店街のある駅のうち8割くらいで「寂しい風景」に出逢うのです。一方、レンタカーで郊外に出ると、派手な巨大スーパーや家電量販店がズラリ。もっとハッキリ言えば、ごく一部の例外を除けば、今、どの街もそんな感じなんですね。

地元の駅前が廃れてしまい、賑やかなのは郊外店舗の駐車場だけ。確かに「自然の成り行き」なのでしょうが、「淘汰」で片づけるのはあまりにも失うものが多すぎ、悲しすぎる。そんな感覚を持つのは、私だけではないはずです。


先日、「小布施 まちづくりの奇跡(川向正人:新潮新書)」という本を読みました。長野県小布施町は、仕事でちょくちょくお邪魔する街。こんなに人々の熱気が伝わってくる地方都市も珍しいとは思っていたのですが、この本には個性的な街づくりの試みがたくさん紹介されていました。

中でも私がびっくりしたのが「オープンガーデン運動」。これは、各家庭が庭を手入れし、庭と道路の境界線である「塀」を取っ払おうという試みです。観光に力を入れている町なので、当然ながら、観光客が家庭の軒先(つまり敷地内)を歩きます。時には観光客と家の人が一緒に縁側に腰掛けて、会話を楽しむケースもあるとか。

読むにつれて、思い出したことがあります。

昔の日本、つまり私が子供だった昭和40年代くらいは、これと似た光景が広がっていました。夕方になると家の前の路地に椅子を出してシャツ1枚で涼んでいるオジサンがいて、そのすぐ横でメンコやコマ回しに興じたものです。玄関に施錠する家などなく、友達の代わりに彼の家に勝手に上がり込んでオモチャを持ち出すことも「ごく普通」だったように、公的スペースと私的スペースの境界線はとても曖昧でした。

小布施町のオープンガーデンは、「昔の日本」では当たり前のことだったのかもしれません。街は建物の集積地ではなく、人と人が触れ合って活気が生まれる場所。とすると、あの駅前の風景は……。


「個人」や「プライバシー」を大切にする教育が定着し、子どもが個室で自分専用のテレビやパソコンを持つ現代。豊かで成熟した社会の姿なのでしょうが、その一方で、それは人と関わる経験が乏しくなったことを意味しているように思います。テレビの討論番組でも、歌の歌詞でも、誰もが「つながり」の大切さを叫んでいるのに、「身のまわりはみんな友達」だったあの頃の風景が急速に消え続けているのは、いったい何故なのでしょうか。

郊外の品数豊富な大店舗は便利ですし、お得なプライスの商品もたくさんあります。でも、原点はやっぱり地元の中の街であり、人であるはず。だからこそ、勇気を持って警戒心を取り払い、住民のありのままの姿を地域の活力につなげる小布施町の「オープンガーデン」の試みに、私は拍手を送りたいのです。

地方の活性化は、地方だけの問題ではない。気の毒なシャッター街は、今の私たち日本人自身の姿なのだ……。電車に揺られて駅の風景を眺めていると、柄にもなく、今の社会を憂える自分に気付いたり。

駅に降り立った瞬間、「ここのご当地ラーメンは何だったかな」と、いつもの自分に戻ってしまうんですけどね。

Written by U